奉納・行事

中学生吉兆行事

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1月11日(土)、大社中学校の生徒 約70名により新春の吉兆神事が行われました。
御本殿前・出雲大社教神殿前・千家國造館前で「歳徳神(としとくじん)」と刺繍された錦の赤いのぼり旗「吉兆幡(きっちょうばん)」を押し立て、祝い歌の大社神謡が奉納されました。

     

吉兆(きっちょう)と番内(ばんない)
出雲市大社町には、今なお数々の民俗芸能が残されており、その代表的なものが新年に行われる「吉兆さん」である。
吉兆行事は親しみを込めて「吉兆さん」と呼ばれ、その絢爛豪華さは神都の新春を飾るにふさわしい神事として今も盛んに行われている。
この行事がいつから始まったものか、はっきりとはしないが、享保~延享年間(1720年~1740年頃)には行われていたようである。
この「吉兆さん」は、高さ4~6メートル、巾1メートル余りもある金襴幟旗で、中央に『歳徳神』と大きく縫いとりされ、その周囲には目にも綾なる金色の龍が画かれ、幟の先端には日・月を画いた扇を、さらにその頂には金色に輝く剣が立っている。「歳徳神」は1年の福徳を司る神で、その御神名が縫いとりされた幟幡は歳徳神の依り代といわれている。
これを担ぎ、笛鼕の囃子とともに出雲大社にお参りして御神前に立て、『大社神謡(しんよう)』と呼ばれる祝い歌を詠い、新年の幸せと御代の萬歳を祈り福徳のお蔭を頂くのである。
また、この日は恐ろしい形相をした面を被り、きらびやかな神楽衣装を着けた「番内さん」が出てくる。
この「番内さん」とは、金襴の神楽衣装を身につけ、赤や白の鬼の面をかぶり、青い孟宗竹の先を裂いたササラ竹をひきずりながら往来する。
番内の由来は、吉兆神事の先導を伴内(ばんない)といって、猿田彦の面や鬼の面を着けた者が務めていた。いつしか鬼面を着けた者だけが独り歩きし、番内というようになり、今日のような姿になったといわれている。

 

 

 

 

 

 

基本情報

日 程 令和7年1月11日